| 「ガラのコト」ホーム | 高市雅風(西口) | 芸歴・稽古場 |
| 3.時間薬 |
| 昨年の暮れに、はっ、とした言葉。 「根性や努力ではどうにもならないこと、時間が解決するしかないことがある。」 うかつにも泣きそうになってしまい、泣いちゃいかん、泣いちゃいかん、と堪えていたため、その先のよさそうなお話を殆ど聞いちゃいませんでした。なんだかそうやっていつも人生にとって大切なことを聞き逃しているような気がしなくもないところであります。 |
| 平成18年大晦日公開 |
| 2.巻頭言 |
| 巻頭言。巻頭言にも様々あれど、ここでは高知大学の学生寮に伝わる(少なくとも伝わっていた。だってほら、今、アンシャンレジウムでシュトルムウントドランケンな古きよき伝統=って何それ=がどこまで残っているのか不明なので。今も寮長は学帽に釣鐘マントで成人式に出席しているのかしら。今もストームをやっているのかしら。今も四月に脱走者が後を絶たないのかしら。そもそも成立しているのかしら、寮・・・。)巻頭言のことを紹介することに致します。 曰、「若人よ感激あれ。感激無き人生は空虚なり。汝等理想を高く高く掲げよ。さすれば道は坦々として汝等が前に拓けん。」 出典は、旧制高知高等学校の第一回入学式での初代校長江部淳夫の訓示といい、もっと長いものだったのが、上記のように要約されて伝えられてきたようです。 江部氏は高知高等学校の開校に奔走なさった方だそうで、明治の熱、世の中が大きく変った時代の、焦燥にも似た教育への熱をこの言葉から感じます。これを知った時いたく胸に沁み、以来座右の銘の一つになりました。(芸歴ページの座右の銘のところには、長いということもあって書いていません。座右の銘っていくつまで認められるんでしょうか。) 旧制高等学校から新制国立大学へ、そして独立行政法人へと。 何かを希求して世の中が急激に変る程切羽詰ってはいないのかも知れない、熱い言葉を鵜呑みにするほど幸せな時代ではないのかも知れないけれど、人にとって一つの灯火となる言葉として残っていって欲しいと思います。遥けき道のりに眩暈しそうになるとき、人を支えるのは畢竟理想ではないのかと、齢だけは重ねても今だ甘ちゃんで単純な私はこの一文を読んで思うのでした。 ところで平成17年の標語は1.「兵は拙速を尊ぶ」2.「武士道とは死ぬことと見つけたり(そのココロは整理整頓らしいです。)」二つも標語を掲げるなんて欲張りなことです。平成17年の標語といわず、一生いつも心がけていなさいって感じです。 |
| 平成17年2月11日(金)公開 |
| 1.テーマは点と線の対話 |
| わかんない、という声があったので、ご説明致します。大した話ではありません〜。 箏は、弾いた瞬間から音が減衰する一方の撥弦楽器です。対して尺八は息のコントロールに よって音を維持する特性を持っています。箏と尺八は合奏することが多いので、最初は何の気 無しに、当たり前のように尺八と合奏していたのですが、気が付くと個人の自主コンサートの演目は 独奏と尺八との二重奏ばかりになっていました。 弦の鋭角的な、単発の音の間を、うねうねと埋めていく尺八の音がどうも妙に気持ちいい。尺八の 音とのそれは、弦同士の緊迫した合奏とはまた違っています。 あの張り詰めた、消えていくような尺八の弱音。吐き出すような息の音。なめらかに豊かに奏で られる旋律。合奏していても、その音色に聞き惚れてしまう時があります。 しかし、気持ちいいからといって聞き惚れちゃってていい訳あるのか?いいや、ありはしない。 (反語)。尺八と箏でその曲は成り立っているのですから。 かくして点(箏)と線(尺八)という異なる特性を持つもの同士でいかにお話しするか、がテーマと なったのでありました。どうやって「線」を誘導するか、或いは支えるか、はたまたいかに引き立て あうか、とてもわくわくする課題です。 とりわけ尺八の音色には心惹かれていますが、「線」は何も尺八に限りません。点と線の対話、 生涯のテーマの一つとしてずっと追いかけていきたいと思っています。 |
えらい長いことかかりましたが(一年以上?)平成16年重陽脱稿 |